医患共同作戦について 片山恒夫
「医患共同作戦」とは、医者と患者が一緒になって治していくという意味である。
だが歯科界ではこの言葉が一人歩きして、私が意図したものとは異なる内容として認識されているようだ。
「治療の局面において」が肝要
医療側にプロフェッショナル・クリーニングがあり、患者がブラッシングをする。
そこで歯ブラシ指導を行い、患者にブラッシングさえさせれば医患共同作戦だと理解して人が多いようだ。虫歯において、患者にブラッシングさせるのが医患共同作戦であるならば、また虫歯が出来れば作戦は失敗である。虫歯の治療の善し悪しもあるが、患者のう蝕活性度が高いのを放置したから、失敗したのである。予防指導・実践の不十分性のゆえである。
歯周病治療の医患共同
私が強調する医患共同作戦は、「治療の局面において」患者がブラッシングを行い、他の養生も行って、医療者と共同して効果を上げていくことが大前提である。
医療側が行う治療は畢竟対症療法である。
この対極にあるのが、ブラッシングを含めた患者の養生である。
患者が生活習慣を変えることによって健康を獲得していく意味を、対症療法とは区別する必要がある。例を挙げれば、ぐらついている歯は、ブラッシングを不用意に行うと歯の安静を妨げ、むしろ悪化する。
だがブラッシングをしなければ回復しない。ここで医患共同作戦が効果を上げる。
つまり、まず医療者が暫間固定などで、磨いても悪影響が出ないように整え、この後で患者が安心してブラッシングに励んで回復させる。
立場が異なるが、医患どちらも「治療の局面において」協力し合っていることが理解できよう。
どちらか一方では回復は望めない。双方が補いあって初めて効果が発揮するのだ。なお医療者の治療としては、暫間固定の他に、咬合調整、ルート・プレーニング、プロフェッショナル・クリーニング、義歯で天然歯の安静を助けるなど、種々の処置がある。
まとめ
虫歯のブラッシングは、う蝕活性度を下げる予防的な行いであるのに対し、歯周病では「これがなければ治らない」根本的な局面で患者が治療に参加すること、これこそが「医患共同作戦」の神髄である。
医患共同
片山は、患者、歯科医師、衛生士、患者の家族等々、様々な立場の人々が歯周病治療に際し、治癒に向けて力を合わせて取り組み、行動することを、医患共同と表現していました。
しかしながら、ただ単に歯ブラシ指導を行い、患者にブラッシングさえさせれば医患共同だと誤解している風潮に警鐘をならし、セミナー最終回以降は、事象の本質をもっと的確に表現する語彙として、医患共働、最終的には医患協働を用いるようになった。啐啄同時(そったくどうじ)
鳥の卵が孵化するときに、ひなが内側から殻をつつくことを〈啐〉といい、これに応じて、母鳥が外から殻をつついて助けることを〈啄〉という。
雛と母鳥が力を合わせ、卵の殻を破り誕生となる。この共同作業を啐啄というのだが、後に転じて「機を得て両者が応じあうこと」「逸してはならない好機」を意味するようになった。患者がブラッシングの難しさ、時間の長さに悩むその時に、それを察知して機を逸することなく情報を提供することは、まさに教育の要諦とされる啐啄同時に当たるだろう。
医療者の指導・処置と患者の自発とが一致した時、はじめて効果をあげるのではないでしょうか。医患の役割分担
医患共同でなければ、歯周病は治らない。
それは、患者に磨かせておけば、何もしないよりはマシだから、といって生半可な共同作戦ではなく、精密に計算されてぴったり補足し合わなければならない。このことを具体的に説明する。
完全にポケット内の歯垢がなくなるまで、正しく徹底したルート・プレーニングを行ったとしても、患者がブラッシングでこの処置を補わないと、口腔内の常在菌が患部のポケット内に再びすぐに入り込んでくる。
ルート・プレーニングの侵襲を受けた歯肉は、回復するのに3〜4日はかかる。この間、いかに無菌状態を保たせるかが鍵になる。それが「一日10回磨き」である。
いったんポケット内を無菌にするのは歯科医側の分担。
たえず細菌がポケット内に侵入するのを防ぐのが患者側の分担。われわれの手で原因をつくらない
日常行なうあらゆる処置が歯周疾患の原因となってはならない。
歯周組織や歯牙支持組織が健全であってこそ、修復物などの永続的な目的が達成されることを理解認識してもらう。歯周疾患予防・治療のためには、不適合修復物の装着を避けるべきは一般的な見解であるが、反面、不用意な教育のため、現実には不適合修復物とりわけバケツ冠が氾濫している。
(昭和10年開業以来、ただ一つの縫成冠も装着していないし、ファイナルマージンは歯肉縁下に設定していない)歯界展望 第37巻 第6号 昭和46年6月 から
要約
付録 原因になる不適正補綴物を装着しないようにしよう
歯周疾患の原因の中で、不適合補綴物は必ずあげられる。この中で一番多いのはバンド金属冠であろう。
(以下、バンド金属冠に関しては割愛)ここでもう一つ提唱したいのは、歯肉縁上2〜3mmの所に全部鋳造冠マージンを設定することである。
これは従来の歯肉縁下に設定することについては、その根拠が不確かなこと、例えば歯肉縁下なる解剖学的位置は年齢的に相違するし、二次う蝕の予防のために歯肉縁下に設定するというが、必ずしも二次う蝕発生の起こり難いという根拠も不確実であろう。歯肉縁下に設定する場合、歯肉縁上に設定するよりも歯冠形成中に歯肉組織の挫滅を起こし易く、またマージンの適合が不十分であることは石原教授も述べている。
とにかく、現今の歯科鋳造技術は、その材料、器械の改良、発達によって全く昔日の比ではなく、全く労少なく申しぶんのない鋳造物が出来るようになった。合理的で、労少なく、結果的に歯周疾患の予防が達成されるインレー、アンレーを優先すべきである。
欠損歯の補綴物についても衛生的、つまりきれいに保ち易くすることはもちろんだが、固定式、可撤式ともに支台歯の負担過重を十分考慮し、合理的な設計をすることが重要で、鉤歯、支台歯は、この意味からして十分検討すべきだと思う。また補綴を行なう場合、対合歯についても十分考慮すべきで、例えば、均等な咬合状態に調整してから補綴にかかるとか、欠損歯の補綴を行なった後の咬合が、外傷性咬合を招来するような歯列状態であれば、まずこれを調整してから補綴にかかるべきであろう。
補綴物の高過ぎることは論外で、ごく僅か低すぎることからも残存多数歯に咬合負担異常をきたすことを注意するなど、対合歯をはじめ残存歯に対する影響を十分注意し、歯周疾患予防に努めるべきだと思う。
また補綴物の咬合面形態、総面積の大きさ、辺縁隆線の回復、歯冠歯頚部豊隆など、歯周疾患予防のために忘れてはならぬ点が多い。
可撤義歯装着の場合、クラスプなどの残存歯と義歯との接触部分を毎食後、入念に義歯用ブラシを用いて清掃することを励行させるよう教育しなければならない。
食物残渣、プラークの付着した義歯を装著することは、接触残存歯の歯周組織に対しては、不適合補綴物を装着することと同様な意味になる。技工のことで
時間が有るかぎり何度もやりかえる技工、何度も同じ物を作り、一番自分の気にいった物を装着する。
自分が作った技工物は全部、ディストロフィーを起こしているんだ……という事をあからさまに言えない。そんな事を言っても、金儲けには繋がらないと反発を受けるだけ。治療の時或いは、クラウン形成の指先の技。出会った時にそのまま使う技。
繰り返しであったならば、いつまで経っても良くない結果、不十分な結果しか結ぶ事ができない。
そのような理解は、今まで多くペリオを発症している歯牙を観察した時に、つまりディストロフィーの項で挙げられている人工的咬合性外傷、つまり修復補綴処置の失敗、つまり技工操作の未熟によって出来たものの、いかに多いかが感知出来る筈。
であれば、自分はそれを修正し、正しいものに調整する必要が感じられるであろう。
異栄養症 [ 英ラ Dystrophia 独仏 Dystrophie ]細胞ないし組織の物質代謝障害のうち栄養が不足あるいは異常である結果、形態学的に認めうる状態をいう。
変性とは異なるから、細胞単位でみると可逆性の代謝障害であるが、しかしまた萎縮とも異なるので、組織ないし肉眼所見からは不可逆性の場合が多い。
異栄養症と呼ばれる病名は多くあるが、進行性筋萎縮症では横紋筋に萎縮、肥大空泡変性などの多彩な病変がみられる。
原因としては局所に関与する血管、神経の機能異常が関与していることが多い。
全身性の異栄養症ならば食物の量と質、消化、吸収、ホルモンの異常などが関係する。
なお小児の進行性るい痩を主とする全身栄養障害(栄養失調malnutriton)をジストロフィーと呼ぶことがある。—医学大辞典南山堂よりー
患者に嘘をつかない
歯周病変について患者との食い違いを無くすことは、
昭和11年(1936)の私の開業以来、忠者たちの「先生は嘘をつくもの」という歯科に対する不信を払拭したいという希望でもあった。歯科医師は患者に、前回と比べた病状をよく語る。
「この前よりだいぶよくなりました」くらいならともかく、ここの腫れが引いたとか、ここは前よりよくないとか細かく話しがちである。
これが必ずしも正鵠を射ているとは限らない。「前と比べて」を覚えている積もりでも、大抵は細部で実際と食い違い、しばしば誤りを含む。
日に何回も鏡で口腔内を眺める患者は、すぐ嘘と分かる。ある個所の描写が一つ間違っただけで、「この先生、誰かと間違えてるな」とか、「いい加減な比較をして! 平気でウソをつく先生だ」と、大きな不信感を持つ。
前の先生をなぜ見限ったのかと聞くと、たくさんの患者が、このような説明で募った不信感を挙げた。少なくとも当時、ほとんどの歯科医師がこの嘘をついていた。
当の患者に嘘をついてどうするか! むろん歯科医師は嘘をつくつもりではなく、忘れているに過ぎない。
この原因は、前に述べたように歯肉の細部にわたる印象が、そう正確にはなり得ないことに加えて、診る患者が多すぎることであった。
一目20人ではやっていけないと、40人も50人も診れば、一週では40人×5日で200人にもなる。
週5〜7人ならともかく、こんなに多数の患者の状態を覚えられる訳がない。
これは現在でも、多すぎる患者数を戒める理由になるだろう。
まじめな患者に歯科不信を招くとなれば、どうにかして防止しなければならない。
前述のように、カルテに文章では細部まで正しく記載しておけるものではない。
だから写真を撮さねばならない、というのが結論であった。
写真があれば、来院患者のこの前の受診時の状態について、嘘をつかないで済む。療養不足の認識
病因は、その人の日常生活の中に、それぞれ異なった程度として必ず存在する。しかしその「程度」が問題である。
主治医は、患者がどの程度に熱心に励んでいるか、本当の姿を知りようがない。
そう熱心でないとか、非常に熱心であるとかくらいは、病態の変化から推測できる。
しかし最後の詰めとも言える治療への道程が難渋したときなど、患者のどんな療養がどのくらい不足しているのがブレーキの原因かということまでは、なかなか伝わってこない。一方、患者の側は、どんな療養がどの程度まで要求されるものかを知らない。
従って、こんなわずかの程度なら、指示された内容を下回っても、まさか病因に響くとは思わないことが多い。歯周疾患の原因は「普通だれもがやっていること」の中にひそんでいる。
そこからの脱却では、自分一人で程度を正確に判断できないのがむしろ当たり前だ。
いかに継続して必要な療養に患者を励ましていけるかどうかが、最終的に歯周疾患の実用上の治癒に至るか否かの分岐点になる。
どの部分の回復が不足しているかを毎回指摘し、一方、療養をきちんと実行した部分の回復の素晴らしさを讃える指導は欠かせない。
患者が実行する自信を持ち、次回まで療養を励むことによって、回復の効果が増すからである。その意味でも、写真記録があってこそ療養継続が可能になったと言える。
René Jules Dubos (1901-1982)
生物学者
フランス生まれのアメリカ人
微生物学の権威で、後年は生態学的視点をもった文明批評家として活躍した人物
著書に「人間であるために」「健康という幻想」「内なる神」など多数語録
「心配のない世界でストレスもひずみもない生活を想像するのは心楽しいかもしれないが、これは怠け者の夢にすぎない」「健康と病気の違いは、環境に適応しようと努力した結果、それに成功したか、失敗したかの差である」
歯科医こそ国民の健康指導者
治療の完成とは、ただ全治させるということではなく、再び同様な疾患を起こすことなく(再発防止)、また他の疾患についても十分抵抗し,予防し得る知識と技能と体力(健康の増進)を獲得させることをもって完成とするのである。
口控疾患、特にう蝕症、歯周疾患については、全治することの望み薄な特異な疾患であることから、この点が最も強調され、銘記されなければならない。さらに、その病気をつくってしまう生活の有り様、病気に対する態度そのものを治療してゆくことこそ治療の根源である、という考え方まで遡る必要がある。
言い換えれば、原因の除去なくしては治療は完了しないという考え方から出発して、療養指導に成功しなければならない。原因を除去することなく狭義の治療の完成、いわゆる臨床的治癒に至ったとしても全治させることも再発防止に成功することもできない(ごく短期間のうちに再発を招く)ならば、治療の成果が全く無意味になるだけでなく、医療と医療者に対する信頼を損ね、患者の早期治療意欲を阻み、失わせ、強力な反対効果育成を招く。
そのことからも、歯周疾患治療においては再発の防止が最も重要な治療完成の条件として取りあげられるのであって、それ無くしては成功とは言えない程のものである。
すなわち,療養の励行が伴わなければ成功とは言えないことになる。
したがって、この療養の励行、生活改善の努力と指導は最も大きな課題であり、教育的な関係であって、最初から最後まで貫くべき根本的なものである。
その結果としての治療の成功、再発防止は、患者にとっては療養の励行を通して予防の理論と技術と実践を体得できたことであり、治療者にとっては再発防止の完成である。
言い換えれば、治療担当者として、予防に対する実践活動をも合わせ受け持ち、成功したということである。
歯科医はあらゆる国民すべての階層に関わっている。
そして、予防あるいは健康生活改善指導についての必要性と、それなくしては治療が無意味であることを理解、実践させることが可能であれば、歯科医こそ健康教育の担い手であり得るということが理解されるであろう。この点に気付かず、ただ一時的な緩解の役を果たすことだけに終始するならば、次第に悪化する病態生活のなかで、歯科医師および歯科医療に対する信頼はますます薄れるばかりでなく、そのような治療姿勢は、「歯は治療するほど悪くなる」、「歯医者は少しの金を口に入れて、多くの金を懐から巻き上げる」など、怨嵯の的となることは必定である。
「病は口から」と言われてきたが、「健康は口から」に変えられるはずであるし、また変えなければならない。
ブラッシング指導に先立つ補助方法
ブラッシングの不十分さ、不徹底さを改善するためには、側面から援助する補助方法の指導が必要である。
それは含嗽指導と呼吸指導である。含嗽指導
ブラッシングの重要性を十分理解させ、その完成をめざすための先行手段として、治療処置の最初に、それまで行ってきた含嗽の不合理性、不徹底さを改善する含嗽指導を行う。このことによって、患者自身の行う行為(療養)がいかに合目的的でなければならないかを知らせることができる。
指導担当者が実際に水を含み、水量の多寡、震動の強さ、音の大きさなどを示し、何度も練習させる。このような指導は、緊急、徹底いずれの処置の場合にも行われ、徹底処置に入った時期には、盲嚢からの排膿を助けるための、より注意を要する含嗽指導となる。